井上陽水が一人暮らしだそうです。家族がいるのに、なぜでしょうか。 今年でデビュー50周年を迎えるミュージシャン・井上陽水(70)が、家族と離れて都内で一人暮らしを続けることを、疑問に思う人が多いようです。 都内一等地の高級マンションに広々とした2部屋を所有、実質一人暮らしだという井上陽水ですが、嫁・石川セリ(66)と娘の依布サラサとその孫娘が、自身の故郷・福岡に移り住んだというのに、井上陽水本人が、都内で、広すぎる高級マンションとはいえ、別居状態を続けるのは、一体なぜでしょうか? |
井上陽水が一人暮らしって、なぜ?
今年でデビュー50周年を迎えるミュージシャン・井上陽水(70)。
都内一等地の高級マンションに、実質一人暮らしだという井上陽水は、7年前に1部屋、そして3年前にはその隣の部屋を買い、2部屋とも150平方メートルを超える広さを所有しているといいます。
伴侶である歌手・石川セリ(66)は、現在、長女の歌手・依布サラサ(35)とともに、井上陽水の故郷である福岡で暮らしているそうで、2人が本格的な別居状態になったのは、東日本大震災後のことだそう。
放射能の影響を気にして、依布サラサが娘を連れて移住したのをきっかけに、石川セリもついて行ったようです。
たまには夫の井上陽水とも会っているそうですが、福岡ではラジオのレギュラー番組を持つなど、彼女は彼女で充実した生活を送っているとのことで、結構な話です。
気になるのは、単身赴任状態の井上陽水の側でしょう。
井上陽水、一人暮らしのなぜ? 家族はどうした?
井上陽水の友人・タモリ。
昼時に放送される『笑っていいとも!』の司会を務めたタモリ(73)とは40年来の親交のある友人といい、『プラタモリ』(NHK)のテーマソング(主題歌)を書きおろすほどの仲の良さだそうです。
この大御所2人に共通するのは、「友達が少ない」という点だそうで、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)に出演した際には、ここ1カ月で連絡をくれた友達について、お互い「1人くらい」と回答したといいます。
他にも、同郷(福岡出身)であること、サングラスという共通点が揃っていて、気が合うようです。
どこまで本当なのか、世間に足並みを揃えて、合わせているのか…、とも思えるような返答にも思えなくもありません。
井上陽水の一人暮らしを温かく見守るというタモリ。
テレビにほとんど出ないという井上陽水ですが、タモリの番組には必ず出るそうです。
6月中旬にも、都内の大通りでは、タモリの車にピックアップしてもらう井上陽水の姿があったといいます。
(車が向かった先は、数カ月前から予約が埋まるという、神奈川県川崎市にある天ぷらの名店)
タモリの行きつけの店だそうで、この日は、タモリ夫妻と共通の知人ら10人ほどで貸し切りにして盛り上がったのだそうで。 食後にはみんなで記念撮影をしたのだとか。 |
井上陽水、一人暮らし。なぜ、家族と暮らさない?
井上陽水プロフィール。
福岡県出身、フォークソング・シンガーソングライター・歌手・ミュージシャン、おとめ座。
本名:井上陽水(アキミ)、後に陽水(ヨウスイ)に改名。
デビュー当時の旧芸名:アンドレ・カンドレ。
1990年、『少年時代』が収録されたアルバム『ハンサムボーイ』には、ニュース番組『筑紫哲也NEWS23』のために書き下ろされた『最後のニュース』も収録されています。
1975年、他のミュージシャンたちと共に、新たなレコード会社『フォーライフ・レコード』を設立。
音楽シーンの発展に大きく寄与したと評価されています。
アーティストがレコード会社を設立するという行為は、音楽ビジネスを改めて考え直す機会となり、現在あるアーティスト主導の音楽制作へと業界全体がかじを切っていくきっかけになったと言える。
出典元: 井上陽水50周年、日本の音楽シーンで活躍し続ける感性と言葉の鋭さ (C) Real Sound
1979年、歌手・石川セリ(66)と結婚、1男2女に恵まれます。
結婚当初から波乱含みで、別居状態がささやかれ続けてきたようです。
【代表曲】
1972年、デビュー作シングル『人生が二度あれば』
1972年、シングル『傘がない』
1972年、アルバム『断絶』
1973年、アルバム『氷の世界』、『帰れない二人』
1975年、他のミュージシャンたちと共に、新たなレコード会社『フォーライフ・レコード』を設立。
1982年、『リバーサイドホテル』
1990年、アルバム『ハンサムボーイ』に収録された『少年時代』は最大のヒット曲で、他にも『最後のニュース』なども収められています。
最近の活動。
昨年、シングル『care』を9年ぶりにリリース。
『断絶』などの全スタジオレコーディングアルバムとライブアルバムを配信。
今年初頭にはスタジオアルバムのリマスターBOXセット『YOSUI BOX Remastered』リリース。
デビュー50周年記念ライブツアー真っ只中。
今年でデビュー50周年を迎えるという井上陽水(70)は、現在、4月7日の新潟公演から始めた「50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』~少年老い易く 学成り難し~」の真っ最中で、全国で24公演を開催していましたが、当初6月末までとしていたのを、9月以降も続行することを決定しているそうです。
往年のヒット曲をふんだんに盛り込んだセットリストだそうで、ファンが大喜びしているそうです。
【バンドメンバー】
山木秀夫(Dr.)、美久月千晴(Ba)、長田進(Gt.)、今堀恒雄(Gt.)、小島良喜(Key)、稲泉りん(Cho)、佐々木詩織(Cho)。
「50年前にギターケースを持って福岡から出てきたときは1人だった。でも、今年のお正月は家族10人に増えていた。光陰矢の如しですよね」
出典元: <ライブレポート>井上陽水、50年の軌跡を辿るツアーでヒット曲を惜しみなく披露 (C) billboard japan
井上陽水が一人暮らししてます。なぜって、愚問かも。
先駆者と称される井上陽水への第三者からの評価。
今でこそ、肩の力を抜いた軽妙さがあるトークだと評価されている井上陽水の”喋り”ですが、自身の評価は低く、お喋り上手なフォークソング歌手に比べたら、喋れないタイプだったと明かしています。
その意味では、一緒にいてもほとんど喋らなかったという故・忌野清志郎とは友人だったというのも頷けます。
1973年に発売した、自身初めての共作『帰れない二人』は、そのかつて友人だった故・忌野清志郎との共作で、互いに一行ずつ作詞したという楽曲だそうです。
「一緒にいてもほとんど喋らないんですよ、彼は」と、笑みを浮かべながら、すでに10年前に他界した友人に思いを馳せているそうです。
井上陽水のマネージャーにも、もうちょっと喋れないと、とアドバイスを受けていたといいますが、最近では、あなた喋りすぎだと言われているそうで、それでも友人には大物芸能人である司会・タモリもいますから、「大器晩成っていうかね」と自身の喋りすぎ感を肯定し、笑いを誘っているのだそうです。
“こんなふうになりたいな”。
ヒップホップの世界には”理想の先輩”がいないと語る呂布カルマは、『こんなふうになりたいな』という人物として、日本中の誰もが知っている、ロック界の先駆者の1人である井上陽水を挙げています。
「あんな個性のあるキャラなのに誰にもバカにされてない感じもいい。とにかくパワフルですよね」
70歳に至るまでの意識の変化、音楽への姿勢。
数多くの名曲を生み出し、日本人なら誰でも知っている、曲は知らなくても名前だけは耳にしたことがあるはずという、フォーク・ロック界の大御所、井上陽水も、70歳という年齢に差しかかって、その意識に変化が生じていることを認めています。
「羞恥心が摩耗してくるんですよね。リハーサルでもデリケートで神経質で、音楽は僕の命だみたいなね、そう考えてる人は『集中できないからカメラ止めて』というような人もいるだろうし、僕もそうだったのかもしれないけど、そんなのが滑稽に思えてくるような年頃になってきたんですよね。自分のこと勘違いしてない? みたいな」と自身の変化についてを明かす。
出典元: 井上陽水、ライブのMCに対する考え方の変化明かす「羞恥心が摩耗してくるんですよね」 (C) Real Sound
23歳に発表した代表曲『傘がない』についても、最近、意識の変化が起きていることを明かしています。
『傘がない』というのを、「僕らがさしている傘がないっていうだけではなくてね、もう少し広がった感じのように聴こえだしてきたっていうか、思えるようになってきたというか」と70歳に差しかかった男に見える景色には、全部満足のいくような状況には見えないのだと続け、大きないろんなものを象徴している傘なのかな、と時々思えるようになってきたと説明します。
「いまから30年とか50年は常識的には生きないんだろうなと思うわけですよ。もう少し時間があれば、あれもやれるかもしれないし、これにも挑戦したいかもしれないけど、『ない』んだなって。やっぱり『ない』んだって。いろんなことを思い浮かべながら、あの曲を歌うんですけどね」
出典元: 井上陽水、ライブのMCに対する考え方の変化明かす「羞恥心が摩耗してくるんですよね」 (C) Real Sound
井上陽水が一人暮らし。家庭内別居ではないのはなぜか?
不倫疑惑で騒がれた過去がある。
一時期、不倫かと騒がれた過去があるようで、その時の相手となる元オセロの中島知子が、自身のオフィシャルブログで、23日付にて「数々の名曲を生み出しとる井上陽水様と私、なぜか不倫の噂がずっと出てはりましたが、ほんまに申し訳ない限りどす」と疑惑を完全否定した経緯があります。
この不倫疑惑は、2011年、一部週刊誌が報じたもので、2人は2007年頃~2009年にかけて交際していたとされ、その後破局を迎えてから、中島知子の方がショックから、洗脳が噂された知人女性への依存を強めていったとしていたようです。
石川セリとの喧嘩ばかりの日々。
嫁・石川セリとは結婚当初から喧嘩が絶えなかったといい、別居状態だったことを暴露しました。一部の記事では、「家に帰っても俺の居場所がない、とか文句を言っている」との親族のコメントが掲載されていましたので、これが本当ならば、この住居の他に、ミュージシャン井上陽水は世田谷に仕事場を持っているようなので、嫁に「絶対にマンションに来るな」と命じた理由が、分かるような気がします。
お互いにそりが合わなくなったからなのかもしれませんが、もしかしたら、ただ単純に、狭い場所が嫌だっただけなのかもしれません。
日本のマンションは狭いので、家族が増えたらそれだけ部屋も狭くなりますから、窮屈すぎるせいで落ち着かず、口論が絶えなかったのかもしれません。
現在、都内の高級マンションで2部屋を所有しているのが、その証拠と言われれば、そのようにも思えますし。
要するに、ライブステージと同じように、そこに観客はいなくても、広い場所を好む訳です。
ライブにいる自分が本来の自分だという風に、ステージという環境に合わせて生きているとするならば、豪邸に住む、という手がありますが、原因がそこにあるのでなければ、解決にはなりません。
ただ、6月末までとしていた「デビュー50周年記念ライブツアー」を9月以降も続行することが決定しているという事実が何を物語るか。
単純に、もっともっと、広い場所で、ずーっと歌っていたい、というだけなのかもしれません。
自身ももう70歳ですし、それ以上の高齢となる親族を抱えてもいることから、突っ走っていたいだけなのかもしれません。
なぜ今更一人暮らしをするのか?
不倫疑惑のあった過去もあることから、そりが合わない親族・家族と距離を置きたがったのかもと思わせられますが、ハッキリとした証拠がある訳でもありませんし、噂の域を出ません。
井上陽水は、お茶目でチャーミングな人となりだという評価があるようですし、加えて、「人を笑わせることが大好き」という性格ならば、人に”合わす生き方”が上手いタイプのはずでしょう。
ライブを開催しているミュージシャンの年齢が70歳ともなれば、ファンの世代もその年代に近いはずですので、独居暮らしの同世代のファン(の感性)に合わせているのではないか、とも見受けられますし、彼自身も、自身の目指す音楽が、独身時代のように、独居暮らしが似合う、というだけのようにも思えなくもありません。
彼自身の音楽活動は、ファンなくしては語れないと思いますので、自身の音楽に欠かせない存在となったファンたちとの相乗効果で、またミュージシャン活動が続くのだという意味で、ストイックなまでにファンと共に歩む音楽人生を貫こうとしているかのようにも思えます。
“立ち食い”蕎麦屋に入ったことがある、もしくはファンだ、という人ならば、ミュージシャンとして生き続ける彼の行動が、少しは分かるはずなのではないでしょうか。
“それぐらい” なんです。
井上陽水が一人暮らししてるそうです。「なぜ?」って、余計なお世話だと言われそう。 今年でデビュー50周年を迎えるミュージシャン・井上陽水(70)が、東京都内で一等地の高級マンションに、一人暮らしをしているそうです。 7年前に1部屋、そして3年前にはその隣の部屋を買い、2部屋とも150平方メートルを超える広さを所有しているのだとか。 家族と離れて2部屋に一人暮らしをするのは一体なぜなのかと、不思議がられているようです。 |