ビートたけしが離婚したのはなぜでしょうか?愛人が理由との噂もありますが実際のところはどうでしょか?
多様な才能の持ち主でタレントのビートたけし(72)が妻である幹子さん(68)と競技離婚していた事が分かりました。
以前から話し合いが続けられており、離婚という結論が出たそうです。
40年間もの間、様々な問題があった時もビートたけしを支えてきた幹子さんですが、離婚の詳しい理由や、今までのビートたけしの経歴なども踏まえて詳しく検証してきましょう。
お笑い芸人でありながら日本を代表する映画監督
北野武監督
芸名 ビートたけし・北野武 生年月日 1947年1月18日 現年齢 72歳
星座 やぎ座 血液型 O型 身長 168㎝ 職種タレント 俳優・映画監督 所属事務所 T.Nゴン |
漫才コンビ「ツービート」で80年代の漫才ブームを引っ張り、その後日本で最も人気のあるエンターテイナーのひとりになりどのテレビを付けてもビートたけしが映っているほどメディアを賑わせていました。
同時に、俳優としても活躍し多くの作品で好印象な演技、存在感を残して高評価を得て、自身の監督作でも多数主演を務め、後に”世界のキタノ”と呼ばれるようにもなりました。
妻・幹子さんはどんな人?
4歳年下の幹子さんは1970年代を中心に活躍していた漫才師としても有名で、大学在学中の時に芸能界に入り、1980年頃にビートたけしとの結婚で芸能界を引退しました。
ビートたけしが売れていない時代も支え続けた
幹子さんがアシスタントを務めていた「大正テレビ寄席」という番組でビートたけしと知り合った事がきっかけで交際を始め、その後同棲期間を経て結婚をいていますが、最初の頃は、事実婚で籍は入れてなかったそうです。
まだビートたけしさんが売れてない状態の時、幹子さんはスナックでアルバイトなどをしてビートたけしさんを懸命に支え続けて、正式には1983年に入籍をしたそうです。
ビートたけしが起こした事件
①フライデー襲撃事件
1986年12月にビートたけしが、仲間らとともに、写真週刊誌『フライデー』(講談社)の編集部を襲撃した事件で、当時たけしさんと交際していた女子大学生が通う学校の校門付近で、たけしとの関係を聞こうと声をかけた記者が、女性が避けて立ち去ろうとしたために、記者が彼女の手を掴んで引っ張るなど乱暴な行為に及んでそれに激怒したビートたけしと仲間たちが編集部を襲撃し、その結果暴行傷害事件へ発展しました。
東京地方裁判所からたけしさんに懲役6ヶ月(執行猶予2年)の判決が下り、控訴しなかったので、刑が確定しました。
この時、ビートたけしは結婚していたので、事実上不倫関係にありこの女性との間に隠し子がいて認知した話もとても有名な話ですよね。
バイクでの自損事故で重傷
1994年8月に自身の原付バイクで走行中にカーブを曲がりきれずにガードレールの鉄柱に激突し4メートルも吹き飛ばされて頭を強打し大出血で意識不明のまま病院に搬送され、その後意識が戻ると記憶は飛んでいたそうです。
事故後は顔面は原型を留めていなかったらしく顔面が麻痺する重い後遺症を負って今でも笑った時に事故の面影が見えます。
とても大きな事故だったので命があって良かったですよね。
しかし、この時も妻である幹子さんは集中治療室の隣の部屋に泊り込んで看病を続けた事もあり、献身的に支えたことが分かりますね。
離婚の原因は?
所属事務所『T.Nゴン』は愛人が設立
以前から女性問題が絶えなかったビートたけしさんですが、2014年から”愛人”の存在が公になっていて、その人物はたけしさんより18歳年下で、4月から所属している事務所は愛人が設立し、ビートたけしさんが独立し、愛人の為に資産を入れ込むから離婚に至ったそうです。
事務所も設立しているし、もう未練はないという事ですね。
子供達は拒絶している
息子は結婚式にも呼ばなかった
ビートたけしには娘と息子がいますが、娘の井子さんは「愛人にのめり込んでいく姿が気持ち悪い」「顔も見たくない」と拒絶するようになり、息子は結婚式に父親であるたけしさんを呼ばなかったそうです。
確かに、自分の父親がいい年して愛人作ってデレデレしていたら気持ち悪いし見たくもないですもんね。
財産は全部妻にあげた
昨年テレビでそう語っていたのですが、あれは”絶縁”への手切れ金だったのでしょうか?
40年もずっと連れ添って売れてない時から支えてくれていた妻を手放し愛人にお金をつぎ込むのは本当に悲しいですよね。
夫婦のあり方はその本人しか分からない事ですが、元奥さんにはたくさん慰謝料を払って欲しいですね。